top of page
そのはなし、聴きます

私のゼロか100かだった時代


今まで経験したことがないクラスの台風が来た。


2階にいたら強風で家が揺れるから、下にいて過ごす。 大きな川のそばに住むため、ダムの放流に伴う氾濫の危険もあった。 (我が家は避難せず)

だから1階と2階を行ったり来たりして落ち着かなかった。 気を紛らわせるためにテレビの音量を上げると、30なんて驚きのボリュームにしなければならない。 そうじゃないと聞こえないのだから、どれだけの雨風だったか。


サッシから水が吹き込み、大きな破裂音と共にトタンが外壁に飛んできた。

東北の大震災の時、私は川崎駅にほど近い場所に住んでいた。 勤務中だった歯科医院のテレビは、ヘリコプターからの編集のない津波映像が何度も何度も流されていた。

冷静なことを言うわりには人一倍怖がりで、想像力豊かな私は

「こうなったらもう生きていられない」

と判断した。


余震が続く中、もしここで大きな地震が起きても私は避難しない(で死ぬ)と夫に宣言して喧嘩になった。

その後のストーリーを想像すると、恐ろしくて恐ろしくてとても生きていられない。


私はただ恐怖におびえきっていた。 その後息子を生み、育て、私は自分の恐怖を引き換えにしても生きなければならなくなった。


心と感情のことを少し学び、私の極端な「生きるか死ぬか」はゼロか100か(白か黒かにもつながる)の思考パターンからくるものだと知る。

そしてそれが感情を素直に表現できないから起こっていることも。



今回の台風で私には何が何でも生きる使命があったから、できる準備をすべてした。

息子の心のケアにも努めた。


そして私自身、自分の感情を外に表現することを意識した。


「こわい」

「緊張する」

「早く通り過ぎて」

「川があふれませんように」


脈拍はいつもより20も多く打っていたし、異様にお腹が減り、体からもたくさんのサインが出ていた。


だから雨戸が波打つ中で瞑想も試みた。

(脈は確実に下がるから、マインドフルネスは本当に心を整えるのに有効だ)




今回、庭の木が倒れかかる程度の被害で免れたのはラッキーだったとしか言いようがない。

各地で堤防が決壊したり、浸水によって亡くなった方々がいたし、命は助かったけれど被害にあわれた方々がたくさんいることを考えると、心がギューッとつかまれるような苦しみを感じる。


元の生活に戻すための実務的な作業と共に、感情を少しずつでも解放する(話せる)場が持たれることを祈ります。



Comments


bottom of page