こんな人を見かけたことはないだろうか。
いつも悩みを抱えていて苦しそうで、「いま悩んでて。」と話すから聞く。
自分なりに考えて、こうしたらどう?
こんなふうに考えてみたら?
なんて少しでも改善になるかと思った案を差し出すと、
「うん。そうね。でも○○だから無理」
「うん、うん。でもそれは△△だからダメなんだよね」
ことごとくホームラン級に打ち返してしまう人。
あとに残るのはこちらのイヤ~な感じのみ。
役に立てなかったなぁという無力感。
じゃ、聞くなよ!という怒り。
それ、「はい、でも。」の「心理ゲーム」をしかけてくる人。
ゲームには報酬がある。
あなたの時間を奪ってやった。
あなたに無力感を味合わせてやった。
というおおよそ趣味がいいとは言えないもの。
そして最大の報酬は、自分に精力を注いでくれているという満足感。
だから、「はい、でも。」のカモになっているかもしれないと
気づいたら、エネルギーを奪われる前に手を引いた方がいい。
本当に解決策を探している人とは、話の流れ方が違うから
すぐにわかるはずだ。
世の中にはこの報酬を欲しがる人はいっぱいいる。
ゲームには結末がある。
彼女は自分のエネルギーの低下を感じると、あちこちでそんな相談
という名のゲームをしかけるものだから、嫌われていく。
親身になってこたえようという善意をつぶすのが目的なのだから
仕方ないことなのかもしれない。
最後には、誰もいなくなってしまう。
そう。結末は孤独。
嘘みたいな本当の話を交流分析という心理学で学んだ時、あの人のことだ!と
すぐに顔が浮かぶ人があった。
そして、かつて私もこれをやっていたかもしれないという自覚もあった。
たしかに「あれ?なんで私は相談しているんだろう。答えは出てるのに」と感じた
記憶がある。
今とは桁違いに孤独を感じていた時代のお話。
ひとは目的を持って選択してる。
大半が無意識に。
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