私は性格が優しいようだ。
いつも「何か足りなくないかな?」
「あの人大丈夫かな」
「私がやってあげられることは・・・・?」
と考える性質らしい。
性格を診断する<エゴグラム>でも毎回そのように出る。
優しいのはいいことじゃないかと思うかもしれないけど、完全に裏目に出てたケースが過去にあった。
それは今の夫に離婚を要求されていた時のこと。
カウンセラーに話す言葉がほとんど「自分の想像」から言っていることに気がついた時、愕然とした。
「○○と言うと思うんです。夫は」
「夫はそう考えると思います」
「旦那さんは『どうしたいのか?』聞いてみましょうか」
夫は当時、自分の家なのに居場所がないと感じていた。
自分はお金以外、必要とされていないと感じていた。
そんな夫が自宅が心地よい、自分は家族に大事にされていると感じるにはどうすればいいか、私は毎日必死で考えていた。
あれこれ考えるのが私のできることだと思っていたのに、それを相手に聞いちゃっていいんだ!と知った時、そして実際相手に聞いてみたら拍子抜けだった。
「帰ったら、部屋が涼しいのがいい」
え?そこ?
おいしい料理とか、片付いた部屋とかじゃないの?
(そこに心血を注いでた!)
それを聞いてから、毎年夏になると夫の帰宅時間に合わせて着替える部屋のエアコンのスイッチを入れておくようにした。 (それまで、誰もいない部屋のエアコンをつけっぱなしにするなんてありえないと思っていた)
着替えている間に、たとえすぐに夕飯だとしても小さなグラスにアイスコーヒーと少しの甘いものを準備する。
いらないと言われたらそのままデザートにすればいいし、職場と家の境界線の役割を3口コーヒーに担ってもらう。(ちなみにいらないと言われたことは3年間1度もない)
世話好きは時に余計なことをし、善意のズレを起こす。
好意でやってくれることだから、相手はきっとNOを言わないだろう。
NOがないのをいいことに、ますます「相手のために」が加速する。
「言ってくれたらよかったのに!」はダメよ。
そもそも聞いてないんだから。
今も相手のためにやりすぎてないかをチェックし、時々「どうしたい?」「どうなってるとうれしい?」と聞くようにしている。
相手も自分も、知ろうとしないと真実はわからないようになってるのだ。
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