これはまったくの私見なのですが。
カウンセリングの成功、失敗は誰に話すか?
結局その人を信頼できるかに尽きると思うんです。
日本では勉強していてもしていなくても、資格があってもなくても「カウンセラー」を名乗って罰せられることはありません。 (国家資格は公認心理師のみ。その他は信頼度の高低はあるがすべて民間資格)
話しを聴く仕事をするたいていの人は、どこかの団体や組織で学んだ経験があるはずです。 でもカウンセラーと言っても本当にいろいろな人がいます。 流派もそうですが、人柄や人間性、その人の持つ課題によってさまざま。
今までわたしがお話を聴いてきた中には、こんな経験をお持ちの方がいらっしゃいました。
消えてしまいたい気持ちがある方に「まず私と『死なない』って約束して下さい」と言ったカウンセラー。
「○○ができない」と話すと「私は△△ができる」と自分の話をしてくるカウンセラー。
思わずのけぞってしまうようなやりとりが、実は少なくないのかもしれません。
話す側は、いつも見定めています。
この人に話して大丈夫かな? この人にはどこまで話せるかな?
カウンセリングってそうやって探り探りやっていきます。 そして一瞬でも不信感を感じてしまったら、本当に話したいことは
もう出てこないのです。 (実際、この方々は「あ、この人ダメだ」と思ったとおっしゃっています) 先日仲間とこの不信感はどうやって生まれるんだろう?
と話し合いました。
最終的に出た答えが、相手を信頼できるかということでした。
つまりは信頼に値する誠実さや安心感があるかどうか。
例の方々も、カウンセラーに誠実さや安心感を感じていれば、また違う印象を持ったかもしれません。
誠実さや安心感を感じさせる相手というのは、どれだけ話す側のことを信じているか。
だと私は考えています。
【今は苦しくつらい状態だけど、必ずこの方は自分で答えを見つける】と
聴く側が揺らがない。
つらい状態を一緒に辛いなぁと感じるんだけど、一方で冷静に【でもきっと大丈夫】と信じている。
これって簡単なようですごく難しい。(少なくとも私には)
人間だからこそ、揺らいじゃう日もある。
だから日々感受性と客観性をみがくトレーニング、そしてカウンセラー自身も課題を乗り越えていく体験が必要なのだと痛感しています。
技術や知識も大切だけど、本質は「人間」なのかなと思っています。